「こうすれば、もっと良くなると思うんです」
会議でそんな案が出て、その場では皆が頷いた。悪くない案だと、社長も思った。
半年後、何も変わっていない。
多くの会社で、こういうことが起きます。案が悪かったわけではありません。反対されたわけでもない。ただ、形にならなかっただけです。
なぜでしょうか。
人は何千年も「飛びたい」と言っていた
空を飛びたい。
人がそう思ったのは、ずいぶん昔のことです。鳥を見上げて、あんなふうに飛べたらいいのにと考えた人は、何千年も前からいたはずです。
けれど、実際に飛行機が飛んだのは1903年でした。
願いは、はるか昔からありました。それでも飛べるようになるまでには、途方もない距離があったのです。翼の形を測った人がいて、風の中で試した人がいて、機体を軽くする工夫をした人がいて、何度も落ちて、そのたびに直した人がいました。
「飛びたい」と言うことと、「飛べるようにする」ことのあいだには、これだけの隔たりがあります。
会社の中で起きていることも、実は同じです。
距離があるのは、能力の問題ではない
「こうすればいい」という案は、たいてい正しいものです。
問題は、その案が正しいかどうかではありません。案が出たあとに、まだ長い工程が残っているという事実が、その場では見えないことです。
誰が動くのか。いつまでにやるのか。うまくいかなかったら、どこで引き返すのか。今までのやり方でやってきた人に、どう説明するのか。
これらは、案の中には含まれていません。案が出た時点では、まだ「飛びたい」と言った段階なのです。
そして、ここから先の工程は、地味です。会議で拍手は起きません。人が集まってくるわけでもない。だから、誰の仕事にもならないまま、静かに止まります。
止まった理由は、会社に実行力がないからではありません。その工程を、誰の仕事にするか決めていなかっただけです。
AIが安くしたもの、高くしたもの
ここ数年で、この構造が少し変わりました。
安くなったものがあります。思いつくことと、作ることです。
「こんな仕組みがあればいい」という案は、AIに聞けばいくらでも出てきます。試しに動くものを作ることも、以前よりずっと簡単になりました。
一方で、値打ちが上がったものもあります。
どれが自社にとって本当の問題なのかを見極めること。小さく試して、事実を確かめること。現場の人が実際に使い続けられる形にすること。
この三つは、今のところAIに任せきれません。会社の事情も、現場の空気も、外からは見えないからです。
つまり、思いつくことが値打ちだった時代は、むしろ終わりかけています。値打ちが移ったのは、その先にある、地味な工程のほうです。
私の場合も、案は最初からありました
私が携わった現場でも、電話とファックスで受けていた注文を、デジタルに切り替える取り組みがありました。長い時間はかかりましたが、取引先の大半が、最終的に切り替わりました。
このとき、案そのものは特別なものではありません。「電話とファックスをやめて、デジタルにする」。誰でも思いつきますし、同じことは他社でも考えられていたはずです。
大変だったのは、そこから先でした。
長年ファックスで注文してくださっていた取引先に、なぜ変えるのかを説明する。使い方が分からないという声に、一つずつ応える。全部が一度に切り替わるわけではないので、しばらくは新旧両方のやり方が並んで動く。その面倒を、現場が引き受ける。
そういう地味な積み重ねの先に、ようやく切り替わった状態がありました。
振り返って思うのは、値打ちがあったのは案ではなく、切り替わるまで付き合ったことのほうだということです。
試すのは、小さくていい
ここまで読んで、大変そうだと感じたかもしれません。
でも、最初の一歩は小さくて構いません。むしろ、小さいほうがいいのです。
「来週、得意先を一社だけ選んで、試しにやってみる」
これで十分です。うまくいけば広げればいいし、うまくいかなければ、一社分の手間で済みます。
大切なのは、机の上で正しいかどうかを話し合うのをやめて、外に出して事実を取ってくることです。一社試せば、会議を十回やるより確かなことが分かります。
この「小さく試す」ができるようになると、案は案のままで終わらなくなります。
眠っている案があるなら
会社の中に、いい案が眠っていることがあります。
何年か前に誰かが言っていた。皆が「それはいいね」と言った。そして、そのままになっている。
もし心当たりがあるなら、それは御社に力がないからではありません。案が出たあとの工程を、誰かの仕事にしていなかった。それだけのことです。
「飛びたい」と願った人は、たくさんいました。飛べるようにしたのは、翼の形を測り、何度も試して、そのたびに直した人たちです。
どちらが偉いという話ではありません。ただ、空を見上げているだけでは、飛べないというだけのことです。
そして、飛ぶための最初の一歩は、思っているよりずっと小さくて済みます。